近年の乳幼児研究において、乳幼児は生後たった5週間で、他者が自分に対して情緒的な反応をしてくれないと、不安や不快さを示すことが明らかになっています。
また、ロシアのリシナという研究者は、他者との“交流の欲求”が乳児にいつどのように現れるかということに関心を持ち、交流の欲求こそが発達の原動力であるという考えを示しています。
「主体の、他の人間との交流の欲求は、他の人から主体が受けとり、自らが彼に与える評価の欲求である、このような相互評価は人間による自己の可能性や他の人びとの可能性を認識することへ導き、そしてまさにそれによって個人の最も効果的な自己調整や他の人びとと協力して自己の生活的に重要な目的を達成することを保障するものである」(p.146)
しかし一方で、必ずしもこうした欲求をまっすぐに表せる子どもばかりではないということもまた、事実のように思われます。
重度の自閉症の子どもには、交流においてとても重要なアイコンタクトがうまくいかなかったり、感覚の過敏さから抱かれることを嫌がったりする特徴があります。
かといって、彼らがまったく他者に関心がないかといったら、そんなふうでもないように感じられます。むしろ、人をよく見ており、いろんなことを敏感に感じ取っているように思われることもあるくらいです。
小児精神科医の中には、“発達障害”という診断が広がりを見せる現状を危惧し、早期の母子関係において子どもが見せる“アンビヴァレンス”に注目する人たちもいます。

「関係」からみる乳幼児期の自閉症スペクトラム: 「甘え」のアンビヴァレンスに焦点を当てて
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こうした立場の先生方の研究によると、なんと、子どもは生後1歳ですでに、“甘えたいけど甘えられない”といったアンビヴァレントな気持ちを養育者に対して抱いていることが観察され、2−3歳頃にはその満たし得ない甘えに自分なりの対処をしようと試みるそうで、そうした試みが、子どもの発達障害の特徴(常同行動、注意が転々とする、など)に似通っていることを指摘しています。
これほどの人生早期に、“甘えたいけど甘えられない”心理が人の心に宿るのだとしたら、もはや取り返しがつかないのではないか、と、つい悲観してしまいそうになりますが、子どものこころは、必ずしもいつも“まっすぐに、わかりやすい形で、他者を求める”ような単純なものではないことを知っておくことが大切なのかもしれません。
1歳ですでに、子どもが甘えたいけど甘えられないという複雑な自分のこころを認識し、それについて対処しようとし始めるのだと思うとき、“Don't worry, be happy” ではいられない、生きることの大変さや難しさ、切なさを感じます。
親子がわかり合うことは、決して簡単なことではありません。
難しい関係性の中を親と子どもの双方のこころがぶつかりあいながら、生き抜いていくプロセスが、子育ての本質なのかもしれません。
すれ違い続けてしまう関係もあるでしょう。そして、そこには甘えたいけど甘えられないというアンビヴァレンスの感覚が残り続けるのかもしれません。
ただ、一生甘えられないままかと言えば、決してそんなことはないという希望も、一方で確かにあるような気がします。
最近読んだ論文に、次のような言葉がありました。こんな他者との出会いに恵まれたとき、すれ違い続けた関係を赦せたり、手放したりすることもできるのかもしれません。
We become our selves through being together with, truly together with, another.