本を読んでいるときに、自分を肯定されたと感じた経験は、とても多い。
誰かと話しているときよりも、ずっと多いかもしれない。
鷲田氏のこの言葉も、ブログを書くことを後押ししてくれた。
「エッセイには、未知の思考の地平を伐り開く《試み》という意味がある。そういう《試み》としてのエッセイを内蔵しないなら、哲学はその〈力〉を本当に失ってしまうとおもうのだ」
自分を認めてくれる人が誰もいない、と感じるときこそ、本を読めばいいと思う。
本も他者である。
本来、音楽も、映画も、すべての作品には、それを作り出した人の息遣いが感じられるはずであり、ときに実際の人と対面するよりも、生々しい存在感を伝えてくる。
それは、かけがえのない出会いに他ならない。
内田樹氏は、こう書いていた。
「テクストには通常『宛先』がある。私が読む必要のあるテクストは、その『宛先』に私が含まれているもののことであり、『宛先』に私が含まれていないような本は、たぶん読む必要のない本である。」
本も、読み手に対して語りかけている。
独りよがり、は、思いのほか、簡単ではないことなのかもしれない。