私の担当の美容師さんが、今年から店長に昇進されました。
昇進の報告をしてくださった折には、「名ばかり管理職です」と茶化していらしたけど、先日お店に伺ったときには「最近の若い子は愚痴を言わないから、何を考えているかわからない」とこぼしていらっしゃいました。
仕事自体も高いプロ意識を持っておこなう方なので、店長という職務も、責任持って果たそうとなさっているのだなと思って、深刻なお悩みだったのかもしれませんが、そうこぼす横顔を微笑ましく見つめてしまいました。
『感情労働と法』の中でも、「コミュニケーション」という言葉がたくさん出てきます。
私の担当の美容師さんもきっと、マネジメントのために若い社員とコミュニケーションをとりたいのですが、そのコミュニケーションに至る道のりに苦労していらっしゃるようです。
何を考えているかわからない、とはつまり、本音が見えないということです。
愚痴の中に潜む本音を聞き出せなければ、コミュニケーションではないと考えて、「コミュニケーションが取れない」「マネジメントしにくい」と苛立ちや不全感を感じるのは、何だかもったいない気がします。
一緒に働くこと。
働く背中を見せること。
日常の些細なやりとり。
信頼感も不信感も、そんなたわいないことのなかで、育っていると思うのです。
コミュニケーションは、言葉によるものだけではないですし、むしろ非言語的に交わされていることのほうがずっと、大切なメッセージになります。
コミュニケーションとか、マネジメントとかいう横文字を並べられると、何か特別なことをしなくてはいけないような気にさせられてしまいますが、大切なことは、日常のごく普通の場面でかわされるさりげないやりとりにあるのかもしれません。
鷲田清一氏は、下記の本でこんなふうに書いています。
ことばになる、それだけでひとつの救いだ。
苦しみは、苦しみのなかにある人がのみ込むこと、あるいは忘れようとすることだからである。
愚痴を言わない若い人たちが、こうした繊細さを持っているのだとしたら、これからは、マネジメントにおいて、ますますさりげなさが大切な役割を持つと思います。

- 作者: 鷲田清一,植田正治
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