言葉と感情について書いてきましたが、言葉がどんな声に乗っているか、による感情的な印象は、コミュニケーションやひいては対人関係において、私たちが思っているよりもずっと大切な部分だと思います。
大衆の心を捉える演説に適した声と、恋人に愛を囁くための声とは、おそらく違うでしょう。伝えたい内容には、それに適した声があり、その声の質を決めるのは、感情です。
鷲田清一氏は、声の肌理(きめ)という言葉で、声のトーンや質感を表現しています。
「言葉と音の回転扉、それが〈声〉だ。声は言葉として意味(メッセージ)を乗せるが、同時にそれ自身の肌理をもっている。その肌理が意味とは別のかたちで他者に触れる。声はいつも二重奏を奏でてきたのだ。」
伝えている意味と、声そのものが持つ肌理、その二重奏を言葉は常に奏でています。
こう考えると、コミュニケーションは常に誤解と混乱に陥る危険性を孕んでいるのであって、分かりあえる、気持ちが伝わったと思えることのほうが、なんだか不思議に感じられます。
鷲田氏の文章は、文字なのに温度や質感が伝わってくるので好きです。肌理が意味とは別のかたちで他者に触れる。
この一文によって、声は単なる聴覚情報ではなく、まるで手のひらのような温度と質感と圧を与えられています。
カウンセリングが職業として成り立つのは、この声の力による部分も大きいような気がします。
フランスの精神分析家、ディディエ・アンジューは次のように言いました。
ぬくもりは接触を凌駕する。

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カウンセリングでは、セラピストはクライエントの身体に触れるわけではありません。それでも、言葉と感情を乗せる声の質を調整し、手当てをするようにクライエントの心に触れるのです。