Talk to Your Heart

〜自由が丘カウンセリングオフィスのblog〜

恥の反対は、意地か誇りか

洋画を見ていると、恥や恐怖の感情に対しては、誇りや怒りを喚起して、恥や恐怖の感情を打ち消す、というやり方がよく見られます。 

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 恥じて引きこもってしまいそうになるときにはプライドを、恐怖で尻込みするようなときには怒りを、それぞれ引き出すことによって、いつも大事な決断や選択の場面で、知らず知らずのうちに、自分を脅かしていた恥や恐怖から脱することができます。

しかし、日本の社会では、恥に対しての誇りや恐怖に対する怒りは、なかなか機能しえないのが現実かもしれません。

欧米では、人前で自分の子どものことを「perfect children」と言ってもおかしなことではありませんが、日本でこんなことを言うと、「親バカ」などと言われ、眉をひそめるような反応が返ってきそうです。

誇りは、謙遜の前にその力を奪われています。

そのため、恥の感情を日本人は維持によって防衛し、乗り越えてきたという指摘もあります。 

恥と意地―日本人の心理構造 (講談社現代新書)

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とはいえ、『いきの構造』で有名な哲学者の九鬼周造は、日本人の情緒の系譜を図示し、その中で、恥の対極に誇りを据えていました。

戦国時代、恥の対極には誇りがあったかもしれません。

しかし、戦時下の日本において、恥の対極にあるのは意地だったのかもしれません。

恥の対極に、何が据えられるかは、時代によって少しずつ変化してきているのでしょう。

恥の対極が無関心などという態度にならないために、感情に耐えうる力を、その基盤となる感情の哲学を、編んでいきたいと思っています。