一つ前の記事で、感情に気づくことの大切さについて書きました。
この内容を振り返ってみて、「でも、実際はこんなに簡単じゃないかもなぁ」とも思いました。
「感情に気づく」ことができても、その感情にまたフタをしてしまうことも、結構多いですね。
「あ。もしかしたら今、悲しいのかも」と、自分の気持ちに気づけたとします。でも、その悲しみに気づいた途端、「いやいや。そんなはずない」とやってしまうのです。
一旦見つけた大好きなおもちゃを、「あ、なんだかやっぱりこれは子どもっぽいかも」と、慌てて年齢相応のおもちゃを引っ張り出そうとするような心の動きに似ているかもしれません。
ここにはいくつかの理由があります。
心である感情を感じている。そのこと自体が、何かよくないことだと思ってしまう場合があるのです。
本当はごく自然なことなのですが、「泣くんじゃない。みっともない」とか「そんなに大声で笑ったら恥ずかしいわよ」といった大人の言葉に、子どもの心は敏感に反応します。
こうした体験が積み重なると、自分の心が悲しみに沈んだり、喜びに弾んだりするのは、おかしいことなのかもしれないと感じてしまいます。
また、感情をあまり出さない家庭で育ったり、家族が情緒的にお互いを頼り合うことが少なかった場合、感情を感じること自体が、「こんなことあっていいんだろうか」と、人を不安にさせることもあります。
「みんな、いろんな気持ちを感じながら生きていて、それはまったくおかしいことじゃないんだよ」
当たり前と思っていることも、こんなふうに改めて言葉にすることが、実はとても大切なのかもしれません。
Brene Brownは、人間の心が持つこうした無防備さ(vulnerability)が持つ力に注目しています。
自分の感情に気づくということは、自分の心の柔らかさや繊細さ、傷つきやすさに触れるということです。
それは決して弱さとイコールではないのだと、Brene Brownは言います。
心の繊細さは、感受性の豊かさでもあります。
外の世界の様子を敏感に感じ取り、かかわる相手を知り、自分を知り、自分と世界の関わりを模索するためのアンテナの感度が高いということなのです。
吸収できること、発見できることがたくさんありそうですよね。
無防備さ(vulnerability)は可能性の宝庫。
芸術家や有名なコメディアンに繊細な方が多いのも頷けます。
傷つきやすい自分が嫌だと感じている方に、このメッセージが届くといいなと思います。