近頃、ツイッターで知り合った方が、以前からこのブログを読んでくださっていたことがわかったり、コメントを寄せてくださる方に出会えたりと、うれしいことが続いています。
ひっそりと綴っていたこのブログですが、必要としている人のもとに届けられるように、これまでより積極的に発信していけたらと思いました。
ありがとうございます^^
近年、心理療法の世界で、アタッチメントの重要性が再び指摘されるようになりました。人を救うのは、必ずしも人としての愛着対象だけではなく、ずっと聞き続けている音楽、繰り返し読む小説、人生の節目節目で印象に残った映画なども、十分に人を支える愛着対象になりえます。
私にとって、それは尾崎豊の音楽であったり、鷲田清一さんのエッセイであったり、水曜どうでしょうであったりします。
中でも尾崎豊の音楽はもう、20年以上、私の心の支えです。
生きることの苦しみや、社会との折り合えなさ、人生における個人的な出来事のエピソード(尾崎は、子どもが生まれたこと、ドラッグに溺れ刑務所に入った体験についても歌っています)を、彼がその声とことばと、メロディで表現してくれたことによって、思春期に差しかかろうとしていた私も、自分の中にある苦しさや、憤り、社会と折り合えない不安を押し殺さずにすんだと思います。
あの頃はまだ、ここまで自覚できていませんでしたが、彼の歌の中に、自分の中にもある感情を見つけて、ひとりぼっちじゃないと感じたのだと思います。
親にも同級生にも理解されないかもしれない思いを、彼の音楽に抱えてもらいながら過ごしていました。
幸せを歌った曲や前向きになれる曲も好きですが、人の心の中には、幸せや喜び、愛といったポジティブな感情だけではなく、悲しみや怒り、苦しみ、不安といったネガティブな感情がたくさんあります。
そんな感情のよりどころになるような作品が一つでもあると、世の中に、弱い自分の居場所ができたような気持ちになれます。
近年では、平井堅さんの『ノンフィクション』がそうだったなぁと思います。
「人生の苦渋や苦難を歌った楽曲なので、生きることの暗部にフォーカスをあてて書いたのですが、でも決して諦めずに生きることを選ぶ、全ての勇者達を歌った曲です。真剣だからこそ悩み、迷い、時に投げ出したくなることが生きることだと思います。」
記事の中の平井さんのコメントもとても素敵だと思ったので、引用しました。
勇気の定義っていろいろですね。
精神科のクリニックに勤めていた頃、患者さんの口からよくこんな言葉を聞きました。
「死ぬ勇気もなくて…」
でも、生きていることが勇気だし、精神科に行ってみようと思ったことが勇気。
自分の中の弱さを認めたり、さらけ出せることが勇気。
だから、目の前の患者さんの姿は、本当は勇気そのものなのですが、自分の中の勇気には、なかなか気づけないものなのだと思いました。
海外アーティストが、つい最近こんなタイトルのアルバムを発表したそうです。
ノー・シェイム。恥なんてない。
ちょっとパワフルすぎて、日本人には突き抜けた表現に聞こえるかもしれません。
でも、世の中に確かに、「自分の弱さを受け止め、表現していこう。弱さは決して恥ずかしいことじゃない」というメッセージが、広がり始めている気がして、うれしくなりました。