人はどのようにして、自分であるという感覚(sense of self)を発達させていくのか。
これが、今回ご紹介する記事のテーマです。
記事では、Antonio Damasio という著名な脳神経科学者の著作『Self comes to mind』(邦訳:自己が心にやってくる)が取り上げられています。
Damasioは、ヒトや一部の動物が、“自分である”という自己の感覚が生まれ、発達していく過程で、感情がとても大きな役割を果たしていると指摘しています。
この記事は、インタビュー形式で構成されており、Damasioが、感情や心、そして自己についてとても豊かな表現で語っています。英語が嫌いでない方は、ぜひ原文にも目を通してみてください。
Damasioは、感情の意味や機能を知り、感情の持つ力を日々の生活に効果的に用いるためには、進化論的な視点が欠かせないことを強調しています。そして、意識の背景には、脳幹という脳の深層部に位置する、非常に原初的な感情が存在すると語っています。
「この原初的な感情(primordial feeling)は、自己の感覚を感じるための第一歩としてとても重要です」というDamasioの言葉に、インタビュアーは次のように尋ねます。
「我感じる、故に我在り、ということですか?」
もちろん、Damasioの答えはイエスです。そして、ヒトに限らず、ネコやイヌも感情や心、そして自己を持っている可能性を示唆しました。
さらに興味深いのは、ヒトだけではなく、とても簡素ではあるものの、ネコやイヌにも自伝的自己があるだろうと、Damasioは主張しています。しかし、ネコやイヌの自伝的自己は、ヒトのそれほど洗練されていないというのが、彼の見解のようです。
ヒトの場合、つまり、私たちの場合、自伝的自己は日々紡ぎ出され、再解釈され、編集され続けます。そして、自伝的自己として私たちが紡ぎ続けているのは、ただ過去から今までの積み重ねだけではなく、未来のことをも含みます。
誰か大切な人を失う悲しみは、過去と今を覆うだけではありません。
その人とともに幸せに過ごしている未来の自分をも失ってしまうため、喪失感はより大きなものとなるのです。
そして、もう一つ興味深いことは、“自分である”という感覚は、その個人の身体と強く結びついているということです。
これについては、麻酔にかかっているときのことを私たちは覚えていることができないことや、もしも将来コンピュータに自分というソフトをインストールすることができるようになったとしても、それはあくまで、「自分のように考えるコンピュータ」に過ぎず、そのコンピュータが自分にとって代わるわけではないという、Damasioの考えが語られています。
心理療法の世界でも、人の変化の鍵を握るのは、身体感覚を伴った感情です。
自分であるという感覚と、身体と感情。
これらは分かちがたく結びついて、私という存在にさまざまな彩りを加えているのでしょう。