emotion laboratory

感情は人生の羅針盤

invisible shame

先日、スーパーで母親が子どもを叱り飛ばしている場面に出くわしました。

そのときの、子どもの表情が今でも目に焼き付いて離れません。

彼は、悲しそうな顔をしていたわけでも、不満そうな顔をしていたわけでもありません。

そこにはただ、“何も感じていないような表情”がありました。

大勢の人がいる場所で、大声で叱責される。

こんな状況は、人の心に強い恥の感情を喚起します。

私には、彼の心の中には、強い恥の感情が湧き起こっていたのではないかと思えてなりませんでした。

私たちは、恥というと、赤面や手で顔を覆うといった“目に見える恥”を思い浮かべがちです。こういった恥は、身体で感じたり表したりできるという意味で、比較的「軽い恥」と言えるかもしれません。英語の shyness に近い恥です。

でも、一方で、“目に見えない恥”があるような気がします。英語の shame はこちらに近いニュアンスがあります。

自分の存在がずたずたに引き裂かれるような、自分の存在が世界全体から拒絶されるような、そんな自己全体に及ぶ、存在を圧倒し飲み込んでしまうような感情です。

恥ずかしがったり、泣いたり、怒ったりできるのは、自分がしっかりとそこにあるからです。でも、自分の内側を焼き尽くしそうな恥の感情を前にしたとき、人は、その内側の大惨事を収めることに力を注がなければなりません。外側に何かを表している余裕などなくなってしまうのです。

強烈な恥は、invisible な現象として現れることが多いようです。

何も感じていないような表情、それについて語らない、隠してなかったことにする、その場を去る、自分の存在を消す・相手の前から消えるといった行為…。

だからこそわかりづらく、救われがたいものとなってしまい、恥による傷を癒すのはとても難しいことになってしまいます。

恥に関しては、心理学の領域ではあまり重視されているとは言えません。

しかし、個人的には、特に対人関係を考える上で非常に重要な感情であるように思えてなりません。