先日、ある英語の論文を読んでいて、次のような言葉に出会いました。
Transfromance is driven by hope, while its motivational counterpart resistance, is driven by dread.
希望は変化を生み、恐れは抵抗を生む。
思い切り意訳すると、こんな感じでしょうか。
先日、美輪明宏さんの舞台「美輪明宏版 愛の賛歌 エディット・ピアフ物語」を観に行きましたが、その中でも描かれていたのは、ピアフが人としての尊厳を手放そうとした、惨めさと屈辱に直面した場面で、彼女に再び立ち上がる力を与えたのは、他者からの許しや優しさでした。
他者から与えられた許しと優しさのなかに、彼女が見出したのは希望であったのではないでしょうか。
パンドラの箱から、ひどい感情が出尽くしたあと、最後に残ったものは希望でした。
孤独、絶望、屈辱、惨めさ。
私たちを苦しめるあらゆる感情は、この世にあふれています。
そして、私たちは、それに立ち向かう術を持たないような気がしています。
こうした、自分自身も他者をも圧倒するようなひどい感情を前にして、凍り付いてしまうのかもしれません。
そんなときに、役に立つものを、私たちは本当に何一つ持たないのでしょうか。
私には、大切にしているある記憶があります。
それはいつも、私の心の拠り所であり、人生という迷路で迷いそうになったとき、いつも進むべき道を示すコンパスになってくれました。
それは、他者からもらった優しさです。
日常の断片と呼んでいいほど、それは本当に些細な、日常の一場面です。
しかし、私の心は、そこに戻るたびに息を吹き返すのです。
美輪明宏さんも、『乙女の教室』のなかでこんなふうに書いていらっしゃいます。
“優しくされた思い出は、一生消えることがありません。ひとつひとつの記憶は、今でも私の心の中にしっかりと残り、私の人生の礎になっています。”
恐れや屈辱を与えることによって、人を変えることはできません。
本当に、人が変化するとき、その人の傍らには間違いなく希望があり、他者の優しい眼差しがあるのです。