emotion laboratory

感情は人生の羅針盤

「コミュニケーション」が孕む矛盾

前回、『「聴く」ことの力』をご紹介しました。

久しぶりに読み返してみても、圧巻の、堂々たる名著ぶりです。

思考から身体の感覚に帰っていくのと同じように、語られること、表に見えることの裏側や深遠に、目を凝らすよう誘われます。

「語ることがまことのことばを封じ込める、ということがないだろうか。まことのことばを知るためにこそ、私たちは語ること以上に、聴くことを学ばねばならないということはないだろうか。」(p.14)

これこそ、コミュニケーションが孕む矛盾のような気がします。

話せば話すほど、何かから離れてゆき、伝えようとすればするほど、隔たりが大きくなる。

そんなことがあるとしたら、それは、聴くことがおろそかになっているためです。

しかしながら、「聴く」とは言うほど簡単なことではありません。本当に良い聴き手になろうと努力するときには、自分のアイデンティティをほどくような体験が必要です。

「なぜなら他者に語りかけることだけでなく、他者からことばを差し向けられたときのそのことばの受けとりかたもまたまぎれもない他者への語りかけのひとつとして、意味をもつからである。」(p.20)

ダンスやジャズの演奏を見ていると、決められた振りやメロディだけでなく、インプロヴィゼーションと呼ばれる即興に出会うことがあります。

数人でこのインプロヴィゼーションを行うときの基本は、前の人が即興で作った振りやリズム、メロディを少しアレンジして次の人に渡すというものだそうです。

個々が主張しあってしまうと、調和が生まれません。自分のアイデンティティをときほぐし、相手を迎えいれる準備を整えておいて、相手から渡されたものを通して、自分を表現していくのです。

これは、コミュニケーションや「聴く」ことに近いと感じます。

コミュニケーションとは、自分ありきではなく、相手とともに作り上げるもの。

コミュニケーションとは、言葉ありきではなく、存在そのものに心を傾けること。

そんな視点に立ち返らせてくれる一冊です。

「聴く」ことの力―臨床哲学試論

「聴く」ことの力―臨床哲学試論