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emotion laboratory

感情は人生の羅針盤

労働における感情

感情に労働という言葉を付与する。

このことに、すでに感傷を覚える人もいるかもしれません。

しかしながら、介護、保育、教育、医療といった形で、外部サービスにケアを委ねることが増えてきた昨今では、感情労働の価値や値段を考える必要が出てきたと言えます。

感情労働と法』の中には、たとえば、次のような文章があります。

感情労働は、機能的に見た場合、肉体労働とも頭脳労働とも異なる、いわば第三の労働形態と言える」

感情労働と法

感情労働と法

 

感情は、これまで労働の現場で、価値の付与が曖昧な状態のまま見過ごされてきました。(某ファストフード店のサービスでは、スマイルは0円でした!)

本の中では、「愛情や配慮、共感といった感情は、ケア活動に密接に付帯し、それが自然のものとされていた」と指摘されています。

あるいは、「聖職者」「白衣の天使」など、極端に美化することによって、感情の労働の価値は、金銭に換算されることなく、名誉や高貴なイメージとして見出されてきた側面もあるでしょう。

感情労働で提供するサービスは、一律にすることが難しいものでもあります。

たとえば、同じサービス、同じ商品が提供されても、「提供してくれるその人」がいないと、満足感に乏しいと感じる人は少なくないと思います。

そこにあるのが、感情労働のひとつの価値であると同時に、金銭的価値を付与しにくい要因でもあります。

先日、こんなことがありました。

月に数回立ち寄るレストランで、いつもより注文したメニューが出てくるのに時間がかかり、周りには次々とメニューが提供される中、私は居心地の悪い思いをしていました。

そのときの店員さんの対応が、とても素晴らしかったのです。

時間がかかったことに対して、私の目を見てしっかりと「申し訳ありません」という言葉を添えてくれました。しかもそれはメニューを提供するときだけでなく、会計時にも同じように言葉を重ね、「お味はいかがでしたか」と話しかけてくれたのです。

おかげでこちらも、「声をかけてくれてうれしかった」と感謝の気持ちを伝えることができ、まるで一流レストランで食事をしたような気分になれました。

あの対応が、マニュアル化されているのもなのかどうかはわかりません。しかし、彼女の素振りにやらされている感はまったくありませんでした。彼女のパーソナリティや接客という仕事を彼女がどう捉えているかという価値観が現れているように感じました。

私のような人間は、また、そのレストランに行くことがあれば、彼女からサービスを受けたいと思ってしまいます。

その人から提供される何か。そのその人からしか得られない何かを求めて。

私にはそんなお店が幾つかあり、とても快適な時間を過ごさせていただいています。

感情労働という概念がもっと主流になったら、マニュアルができ、感情にも経済的価値が付与され、サービスの質が向上するかもしれません。しかし、その人に、という特別感がなんとなく薄れそうで、一抹の寂しさも覚えてしまいます。