前回、恥に対する、なかったことにする、見て見ぬふりという反応について書きました。
恥に対してだけではなく、私たちはいろいろな場面で、知らず知らずのうちに反応しないことに慣れすぎてしまっているかもしれません。
反応しないというのは残酷なことです。
虐待においてもっとも深刻な状況をもたらすのは、精神的虐待よりも、身体的虐待よりも、ネグレクトであると言われます。
今では倫理的に問題視されることもありますが、ある実験で、ベッドで機嫌よくしている赤ちゃんの笑顔に、母親が応えずに無表情のままでいると、赤ちゃんは次第に戸惑った表情をうかべ、不安でこわばった顔になり、身体を硬くするということが、明らかになっています。
赤ちゃんの機嫌良い笑顔に、母親が笑顔で接するからこそ、赤ちゃんは“自分がそこにいる”という存在感を感じることができます。
人は自分の振る舞いに対する世界のフィードバックによって、自分の行動のみならず、自分が確かに存在していることを確認するのです。
これは、大人になっても同じことでしょう。
無視、無反応、無表情。
反応が返ってこないことは、人を不安にさせます。
LINEの既読がストレスになるのもそのためです。
反応が返ってこないときに生じる不安は、その人の存在全体や価値を揺るがすほど強いものなのです。
鷲田清一さんは、よく「自分は他者がいなければ存在しない」と書いてらっしゃいます。光がないとものが見えないのと同じくらい、反応してくれる他者は私たちの「生きて、そこに存在している」という実感をありありと映し出してくれるのです。
英語で、責任はresponsibilityと言いますが、この言葉はresponse=反応する、ability=能力という2つの単語からなっています。
反応すること。
関心を寄せること。
それによって、誰もが、誰かの居場所を作ることができるのだと思います。