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emotion laboratory

感情は人生の羅針盤

感じとる、ということ

しつこく心の中に居座り続ける感情を、無理やり剥ぎ取ろうとしたり、蓋をして無視してしまうことによって、さらに心が傷ついてしまったり、錆びついて鈍くなってしまったりするのは、決して珍しいことではありません。

感情との付き合い方なんて、学校では教えてもらえませんし、感情は厄介者扱いされてしまうことが多いため、それを感じてもいいということや、時には適切に表すことさえ必要だなんて言われたところで、どうしたらいいのかわからないと困惑してしまう方もあるでしょう。

心理療法の世界では、こうした自分ひとりでは手に負えない感情を、セラピストとふたりで調整していくことを、dyadic regulation と呼びます。精神分析でも、消化と排出という比喩によって、こうした感情調整のさまが描かれています。

心の消化と排出―文字通りの体験が比喩になる過程

心の消化と排出―文字通りの体験が比喩になる過程

 

 子どもをあやす母親がするように、クライエントの感じていることに、波長を合わせていくことがベースにあります。言語的、非言語的に、自分の感情が相手に受け取られたと感じると、それだけで穏やかになる感情もあります。

感情に波長を合わせてもらえることは、子どもにだけ与えられた特権ではありません。自分が発している感情が、受けとられたと感じられる体験は、大人になっても、もっと言えば、生涯を通じて必要なことです。

そして、感情に波長を合わせることは、そんなに難しいことではありません。本当に、ちょっとしたことで、人は「自分を見てもらえた」と感じられるものです。この「見てもらえた」という感覚は、感情に波長を合わせてもらったときに、生まれるものです。

以前、地下鉄の車両に、盲導犬を連れた方と乗り合わせたことがありました。そのときの地下鉄の車内の雰囲気を、私は今でも覚えています。とても静かで、配慮のある、あたたかい空間でした。

盲導犬は、ご主人の足元で気配を消すように座り、頭を地面につけて静かに目を閉じています。その姿勢も、周りへの配慮を感じさせるものでしたし、そのせいもあってか、乗り合わせた方々も、迷惑そうな顔をすることなく、むしろあたたかいまなざしで見守っていました。何か、大切にし合う雰囲気が、そこに流れていたのです。

波長を合わせるとは、そんな日常の、ほんの些細なことだと思うのです。

みんなが少しずつ、外へアンテナを開いていけば、孤独は和らいで、優しさに包まれる社会になるような気がします。